こんにちは!らっきーと申します!!
日本の構造を揶揄する時に使われる言葉として『村社会』という言葉があります。
村社会とは
1、集落に基づいて形成される地域社会。特に、有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会をいう。しきたりに背くと村八分などの制裁がある。
2、同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。
簡単に言うと
- 『トップからの命令は絶対』
- 『外部との連携は極力遮断』
- 『しきたりなどを破ると罰を与える』
という軍隊に近い社会なのである。もしくは鎖国していた江戸時代ともそっくりでもある。
普通に考えて今の時代には全く合わないと言っていいほどであるが、なぜ残っているのだろうか?
またなぜ昔の時代に『村社会』が構成されたのか?と言ったことについてこれから書いていこうと思います。
『村』の特徴とその背景
まず第一に皆さんが『村』と聞いて思い浮かべるものはこういった物でしょう。
畑や田んぼがあり、自然と戯れながら地域に住んでいる人と共に祭などの行事を執り行う...。
言い換えると都会には無い『地域の一体感』と『自然にふれあう機会』が存在している訳です。
そもそも昔の日本は『農耕社会』であり、機械のように『安定した生産』というのは不可能であったのだ。
なぜなら農作物は『土地の状況』や『天候』に左右されやすいし、なにより『水』が一番重要である。
それに『水』に関しては自動で神様が調整してくれる訳では無く、何かしらの方法で調達してこなければならない...例えば『川から用水として引っ張る』などで田んぼに呼び込まなければ農作物は育たない。
当たり前だが農作物が育たないと飯が食えなくて死ぬ。どんなに努力しても農作物が無ければ餓死確定である。
それ以外にも『山の恵み』などの資源も存在していて、当然のように不安定であった。
こんな状態でも人は生きなければならないし、自分の命とも言える『土地』は移動させることが出来ない。頑張ってここで暮らさなければならないのだ...。
ここまでをまとめると...
- 農耕社会では安定した生産は不可能
- 自然が与える環境は理不尽であり、不平等
- 『水』などの資源が何種類も存在している
- 資産の移動は無理。理不尽でも頑張って暮らさなければならない節がある。
- どんなに泣いても農作物が無ければ死ぬしか無い。
『村』を運営する上で必要なもの
ここまでで、『村』についてやその歴史を書いていきました。
そして問題なのは...『如何に村人を守り、不満を溜めないようにするか?』という部分です。
答えは簡単で『平等を作ること』と『団結力を作ること』である。資源の配分を極力平等にすれば不満も出にくいし、団結すれば村人の死亡率を抑えることも可能だからだ。
だからと言って何もしなければ『平等』も『団結』も作れない...ここで必要なのは『ルール』と『罰則』である。
例えば『水はこのように配分する』、『この水路をこの人達で修復する』ということを定め、守らなかったら『村八分』にする...。
論理的かどうかは置いておき、こうすれば『誰かを嫉むこと』は無くなるし『ルールを簡単には破れない』のである。
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『村社会』のメリットとデメリット
メリット
- 絶対的な『平等』
- 弱者にある程度優しい
- 自然と団結力が生まれる
- 共有財産を使用することが出来る
大体このような感じでしょうか。
農村では基本的に『弱者』に対しての保護が厚く、そしてできるだけ『平等な負担』を皆に強いる。
同じ状況下であれば友情なども育めるし、『なんであいつだけ...』という嫉みも起こりにくいです。
だからこそ『共同作業』というものが出来やすく、水源の確保や山の木材を皆で分けるという分配も可能なのである。
デメリット
- 強者には厳しい
- 『労働に対しての対価が得られにくい』などの、不条理な部分が存在する
- ルールが沢山あり、自由は制限される
っとこの辺でしょうか。
色々と説明してきた通りですが、『村』ではとにかく『平等』と『団結』が絶対です。
なので『俺はたくさん稼いだぞ~!』とか『機械で楽にする~』と喜んだら間違いなく目の敵にされてしまいます...。
また存続に必要な『ルール』も結構多く、皆がこれを守っているなか一人だけ破るとこれもこれでダメです。
『村』で生きるということ=自由は無いし、競争も激化させない真っ平らな世界を享受する...まぁ不条理かもしれませんが、こうでもしないと村は生きていけないのです。
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現代で『村社会』が残っている理由
コレに関してはもう分かりますよね...。
- 『弱者』を救済するため
- 『平等』を作るため
ただこれだけなのです。
なぜなら弱者を救済しなければ『無敵の人』のような『失う物が無い人』による犯罪が増えるし、『平等なんて無いなら...』と絶望する人も増えるからです。
そもそも今の世界で『弱者』と呼ばれる人はとんでもなく多いです。
よく『1%の金持ちが世界の資産の大多数を持っている』と言われています...。アメリカなんかは一番体現してくれていますが...。
確かに彼らは『競争に負けた』...と言った事情がありますが、それでも生きたいし惨めな人生を送りたくないという意思はあります。
それに『勝ち負け』もあくまで『人が決めたルールの中』の話...普通に考えて敗者がリベンジする時に同じルールで戦いますか?
その答えは...『革命』、『テロ』という暴力が証明してくれています。
確かに『村社会』は不条理ですが、同時に私たちを守ってくれている存在なのです。
なぜならこういった理由が無ければ『強者が弱者を守る理由が弱まる』ことが起きてしまい、いつかは弱者と強者に見えない壁が生まれる『身分社会』が到来するでしょう...。
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まとめ
今回は『村社会』について自分の考えをまとめました。
村社会と言えば『村八分』といった悪のイメージがありますが、歴史的経緯などを見ると一応の正当性が存在するのです。
確実に『村社会』が間違っている部分も存在はしますが...かといって『じゃぁ村社会を無くそう!』ということも決して正しいことでは無いです。
これによって『弱者を救済する理由』が生まれたのも事実であり、『村社会』というのが薄れてきた現代では『弱者救済は無駄では無いか?』という考えも生まれてきています。
ここで皆さんに聞きたいことがあります。
『不平等だが、努力や才能が反映されやすい競争社会』
と
『不条理なルールで縛られているが、弱者が存在しない平等社会』
自分ならどっちの社会が望ましいですか?コメントなどで書いてくれると嬉しいです。
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